ニシムイ美術村とは?

戦後(1946年)、米軍政府によって絵画教室や展覧会の開催、クリスマスカード制作などを

目的とした文化部芸術課が設けられました。そこで美術技官に任命された画家達が、

石川市の東恩納でアトリエ集落を築いたのでした。

その後、米軍の南部移動に伴い、官職を解かれますが画家達の気運の高まりもあり、

(1948年)自分達で美術村を首里儀保の北(方言―ニシ)に位置する、虎瀬山(トラズ山)

にアートコロニーを形成しました。

それは通称ニシムイ(首里城から見て北にある森)美術村と呼ばれました。

 米軍からはアトリエや画材も提供されました。戦後と言うこともあり、画家達は得意とする絵画

を描かず、アメリカ人の好む肖像画やクリスマスカードを描き生計を立てながら、自分達の

創作活動も展開していったのでした。これが沖縄美術の復興の拠点となったのです。

その中心となった画家達(ニシムイの画家)は山元恵一(やまもとけいいち)、金城安太郎

(きんじょうやすたろう・日本画)、安谷屋正義(あだにやまさよし)、名渡山愛順(などやま

あいじゅん)、大城皓也(おおしろこうや)、屋部憲(やぶけん)、玉那覇正吉(たまなは

せいきち)、具志堅以徳(ぐしけんいとく)らであった。

 また、ニシムイ美術村の画家を中心に1949年、沖縄タイムス社主催の「第1回沖展」

が開催され、最初の審査員は名渡山愛順氏(東京美術学校出-現東京芸術大学)が努め、

日展や光風会 でも活躍されました。

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